プラハの春

ここ一年くらいのあいだにプラハを舞台にした小説が立て続けに出ました。いま、チェコ文学がホットなの? そういう事情に疎いのですが、この機に乗じてプラハ小旅行(書旅行?)を計画してみました。作者も出版社もばらばらですが、かえってプラハのいろいろな表情が楽しめることを期待して。


■『カールシュタイン城夜話』フランティシェク・クプカ

 最初の滞在先は、プラハ郊外にあるカールシュタイン城。このお城、近代都市プラハの礎を築いたといわれるカレル四世の別荘なんだそうです。実物は緑あふれる丘のうえに優雅に建つ、なんとも品の良い建造物のはずなんですが、なぜか本書の表紙にはおどろおどろしい奇城が屹立している。。。なんだ、このお城は?ww でも、こっちのお城のほうが面白そうだから、ぼくはこの奇城に宿泊することにしますよ。

 時は1371年(時代を遡れるのも、書旅行のいいところ)、ここカールシュタイン城にはカレル四世その人が毒殺未遂事件の療養のため、気心の知れた三人の家臣と滞在しているところでした。くだんの四人、毎晩どこかの部屋に集まっては、武勇伝や恋バナ、怪談や猥談に花を咲かせているご様子。その談笑する声が、ぼくの部屋までぼそぼそ漏れ聞こえてくるんですね。そんな夜話を聞くともなしに聞きながら眠りにつく、というなんとも贅沢な一週間を過ごしました。

カールシュタイン城夜話

カールシュタイン城夜話


■『夜毎に石の橋の下で』レオ・ペルッツ

 お次は、いよいよプラハ市内に移動です。時代は200年ほどくだって、いまやヨーロッパの中心都市となったプラハ。そのプラハに君臨するのは、かの神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世です。ヨーロッパ随一の権力を手にしながら、オカルトに傾倒した奇人として有名な方ですね(アルチボルトの描いた、この絵)。この時代のプラハこそ、今回の書旅行で一番の楽しみでした。さっそく市内をぶらつくものの、どうも様子がおかしい。。。とてもヨーロッパの中心都市とは思えない退廃的な雰囲気がそこかしこに漂う。耳に入ってくるのはルドルフ二世破産や、それに代わって権力を伸ばしつつあるユダヤ人の豪商モルデカイ・マイスルの噂。

 現代の金融にも通じるマイスルの経済活動って、この時代の人たちには「魔術」や「錬金術」のような怪しい「術」に映るんだろうなあ。王権という魔術がしだいに解けて、経済という名の新しい魔術が忍び込んでくる。そんな斜陽の刻にさしかかったプラハを舞台に、ルドルフ二世、豪商マイスル、そしてマイスルの妻エステルの三角関係が時空を超えて交錯する様は、あたかも都市に刻まれた六芒星のようにも見えてきて。。。街の中心にある石橋(カレル橋)に佇み、そんな光景をぼんやりと眺めて過ごしました。

夜毎に石の橋の下で

夜毎に石の橋の下で


■『火葬人』ラジフラス・フスク

 ドアを開けると、そこは第二次大戦下のプラハ。って、まるで「トワイライト・ゾーン」のようなつなぎで次の一冊『火葬人』へ。こんどは火葬場に勤めるコップフルキングル氏のお宅に、さしづめホームステイといったところです。家主のコップフルキングルさん、お酒もギャンブルもやらないし、キレイな奥さんと二人のお子さんを大切にする家庭人。いい家に滞在できるなあ、と最初は喜んでいたんですよね。最初は。

 でもね、何日か過ごすうちに、この家、なんかおかしくない?って思い始めたんです。たとえば、リビングルームに飾られた時刻表。ちょっと不思議に思って「これってなんの時刻表ですか?」って訊いてみたんですよ。そしたら、コップフルキングルさんの職場の火葬の時刻表だっていうじゃないですか。そんなものリビングに飾っているのも変ですけど、もっと変なのが、そのことを説明するときのコップフルキングルさんの表情。それが、ちょっと普通じゃないんですよね。まるで宗教の話でもしているかのような、ある種の陶酔感とでもいうか。それ以来、注意して観察していたんですけど、この家主、ちょっとやばいかも。一見まともな市民に見えるんですが、じつは木の洞のように空っぽ。自分のなかの価値基準みたいなものが完全に欠落しちゃってるんじゃないか、という疑惑が日に日に強まっていきました。まるで、ジム・トンプソンの『失われた男』のような空虚さですよ。

 折りしも、ラジオからはナチスチェコ国境に侵攻しつつあるという不穏なニュースが流れてきます。それに歩を合わせるかのように、コップフルキングルさんの目つきが日に日におかしくなってくる。奥さんと子どもたちも、なんとなくその変化に気づいているんだけど、どうにも止めようがない。。。やばい、これ以上この家にいたら、本当にやばい!真綿で首を絞められていくような、なんとも恐ろしい滞在となりました。。。

火葬人 (東欧の想像力)

火葬人 (東欧の想像力)


■『もうひとつの街』ミハル・アイヴァス

 コップフルキングル宅で負った心の傷を癒そうとプラハの街をぶらぶら流していたら、書店で変な本を見つけました。ちょっと立ち読みしてみたのですが、支離滅裂な文章が並んでいて意味不明。なんじゃ、こりゃ?と、いったんは書棚に戻すものの、なんともスルーできない魅力(魔力?)に引かれて、けっきょく購入してしまいました。しかし、この本が異界への入り口になっていたとは、そのときのぼくには知る由もなかったのです。。。

 パムク『新しい人生』のイスタンブール、オースター『オラクル・ナイト』のニューヨークなど、一冊の本(あるいはノートに綴られた物語)が、慣れ親しんだ都市を変質させていくという物語はこれまでに経験済みでしたが、『もうひとつの街』のプラハのそれは、さらに輪をかけて奇妙な体験になりました。ある人が、本書の感想で「シュールレアリズムの絵画のなかに放り込まれたような」といった表現をしていましたが、まさにまさに。「ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、修練を要する。」というベンヤミンbotのつぶやきを思い出しながら、「もうひとつのプラハ」を当て所もなく彷徨いました。

もうひとつの街

もうひとつの街


以上、魔術都市プラハを堪能した春でした。しかも、苦手な飛行機に乗ることもなく(東海道本線で行ける、プラハ!)。書旅行って、お金のない人、時間のない人、飛行機の苦手な人、日本語しかしゃべれない人、妄想するのが好きな人などなど、いろんな人にお薦めです。(←ぼく、ぜんぶ当てはまってるう!)