ポップ1280の力学

呪われた町』、『ニードフル・シングス』、『アンダー・ザ・ドーム』の三作品を「時間」の流れに注目して読むと、まるで三部作(トリロジー)のようですよ。という日記を前回書いたわけですが、あらためて今回は「空間」の面から三つの作品を眺めてみたいと思います。そうすると、次のような空間的共通項が浮かびあがってきます。

・いずれの町もメイン州に位置すること。
・人口が1300人〜1500人程度であること(各町の人口=ポップの概数を下に示します)。
  -『呪われた町』(セイラムズ・ロット 人口:1300人)
  -『ニードフル・シングス』(キャッスル・ロック 人口:1500人)
  -『アンダー・ザ・ドーム』(チェスターズ・ミル 人口:2000人)(※)
・いわゆる「サバービア(郊外)」ではなく「スモールタウン(田舎町)」であること。

(※)一見、チェスターズ・ミルだけちょっと人口が多いようにも感じますが、チェスターズミルには新興住宅地があるという設定になっていますので、この新興住宅地の「新参者」を差っ引くと、こちらも古くからの共同体はだいたい1300人〜1500人くらいなんじゃないか、という仮説が成立します。

ひとつ目の「メイン州」というのはキングの作品であれば「当たり前」ともいえる条件なので、今回はあえて扱いません(でも、メイン州を含む「ニューイングランド地方」独特の風土(気候、宗教性、人種的閉鎖性、同性愛嫌悪など)は、三作品においても重要なファクターになっているので、いずれ掘り下げてみたいですね)。

二つ目にあげた「人口」については、今年5月に開催された「スティーヴン・キング酒場」というイベントの席で、ゲストの滝口誠さんが指摘されていたことが印象に残っています。すなわち「キングが1300人〜1500人の共同体にこだわるのは、敬愛するジム・トンプスンに対する回答なのではないか」という見立てです。滝口さんは、「トンプスンの天才性は『ポップ1280(人口1280人)』という舞台設定にこそある」っておっしゃっていましたが、たしかにキングも「人口」には強いこだわりを抱いているように思えます。いずれの作品のなかでも、人口についてちゃんと言及しているところなどは、その証拠といえるかもしれませんよね(ちなみに、キャッスル・ロックは1959年時点で1280人と明記されています)。

三つ目にあげた「スモールタウン(田舎町)」は「人口」とも大いに通じますが、ここでは規模の問題よりもむしろ住人同士の関係性の濃さに注目したいと思います。「郊外」が新参者たちで構成された歴史の浅い共同体だとすると、「田舎町」はそこに住む土着の住人たちの関係性が濃密で、先祖にまで遡れる歴史を持っています。すました表面を一皮剥くと、そこにはドロドロとした愛憎が渦巻いている。これは、いわば非常に複雑なサイバネティック・システムであり、ちょっとしたバランスの乱れがシステム内で反響して(正のフィードバックループ)カタストロフィに至る危険性を孕んでいます。


やはり空間的な設定においても、この三作品には「三部作」と呼びたくなるような共通点が浮かび上がってくるんですよね。『ニードフル・シングス』の序章の一文などは、まさに「ポップ1280規模の田舎町」に対してキングが抱く「危うさ」について端的に表しているように思えます。

(以下『ニードフル・シングス』より引用)「ここは眠たくなるほど平和な、小さな町なんだぜ。そんなことさえわかっちゃいないどこかの唐変木が、おれたちは堕落の道をひたすら歩んでるとかなんとか勘ちがいしたんだろ。//もっとも、これくらいの規模の町だと、なにかのはずみでバランスが崩れて、いろいろなことがどっと噴出することってあるんだ。」

あるいは、『呪われた町』のこんな文章も。

(以下『呪われた町』より引用)「ここには日々のゆるやかな死以外のいかなる生活もない。だから町に災いが襲いかかるとき、それはほとんど避けがたい運命のようにおもわれる。町は災いの訪れと、それがどのような形をとるかを知っているように思える。」

ここに垣間見えるのは、みんなが顔馴染みというきわめて濃密な人間関係を基盤とする共同体がかかえる、ある種の脆弱性ではないでしょうか。ちょっとした災厄=はずみでそのバランスが崩れてしまうと、あとは一気に崩壊してしまうかもしれないという恐怖。まあ、キングが生み出す災厄を「ちょっとした」と呼ぶのはあきらかに語弊がありますけど、ここで指摘したいのは、これらの田舎町が崩壊する真の原因は「吸血鬼」や「悪魔」や「ドーム」といった外的な要因ではなくて、あくまで田舎町の内部の力学なんじゃないかってことです。

そのことを表現するためにこそ、キングは莫大なエネルギーを費やして小さな「町」とその「住民」を精細に描写するんだろうし、それは本来ホラー小説の主役である「災厄」や「怪異」そのものを描写するエネルギーを完全に凌駕しているようにすら感じます。しかもこの傾向は、『呪われた町』、『ニードフル・シングス』、『アンダー・ザ・ドーム』と進むにつれてどんどん顕著になっているような。。。『アンダー・ザ・ドーム』にいたっては、ドーム自体はほとんど能動的な破壊をしませんからね。ただ、そこに在るだけ。


さて。私説「スモールタウン三部作」ですが、次回は「ベクトル」に注目して三作品を読み解いてみたいと思います。次回が最終回の予定ですので、もうちょっとだけこの妄想にお付き合いいただければ幸いでございますw


ポップ1280 (扶桑社ミステリー)

ポップ1280 (扶桑社ミステリー)

ニューイングランドの宗教と社会

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