Small Town Breaks Down
ぼくの個人的な妄想、キングの「スモールタウン三部作」説もいよいよ佳境へw
ここまで『呪われた町』、『ニードフル・シングス』、『アンダー・ザ・ドーム』の「時間」と「空間」についてみてきましたが、最後は、この三作品の破滅の「ベクトル(方向性)」とでもいうべきものに注目してみたいと思います。
三作品の舞台となる三つの町(セイラムズ・ロット、キャッスル・ロック、チェスターズ・ミル)はいずれも1300人〜1500人程度の田舎町であり、秋分の日からハロウィンまでのわずか一ヶ月のあいだに消滅(破滅)してしまうという共通点を持っていたわけですが、破滅のベクトルに関しては共通点というよりもむしろ相違点が目につきます。
まず、『呪われた町』と『ニードフル・シングス』は、外部から侵入してきた新しいルールが旧来のルールを書き換えてしまうことで共同体が崩壊していくというイメージですね。たとえば『ニードフル・シングス』は、ネオリベ的な価値観が田舎町の人間関係を破壊する物語というふうにも読める。それまではちょっとした外出なら家に施錠などしなかったキャッスル・ロックの住民たちが、ニードフル・シングスの出現(悪魔との売買契約)によって徐々に相互不信に陥り、家や抽斗に鍵をかけはじめるシーンなどはその象徴ではないでしょうか。
一方、『アンダー・ザ・ドーム』では共同体が完全に隔離され、外から侵入される危険は排除されたものの、こんどは逆にエネルギーが外部に出られない。つまり内部の同調圧力を外に放出して適当に減圧することができず、ついには臨界点に達して内破するというイメージです。外から何者をも侵入させないという設定(裏を返せば何者も外に出られないという設定)の源泉は、9.11以降のアメリカに対してキングが感じた閉塞感/危機感にあるのではないでしょうか。ドームに旅客機が激突する(でも、ドームには瑕ひとつ入らない)シーンは、まさにその象徴のように思えます。最強の盾で覆われたチェスターズ・ミル=アメリカが、最悪の結末に向けて暴走していく・・・
煎じ詰めれば、田舎町の抱える恐怖とは「外の世界から何かが侵入してくる」、あるいは「外の世界に脱出できなくなる」という対照的な二つのベクトルに還元できるのではないかという気がしてきます。その視点で三作品を俯瞰してみると、キングは『呪われた町』と『ニードフル・シングス』で前者の恐怖を、『アンダー・ザ・ドーム』で後者の恐怖を描いたという見方ができるのではないでしょうか。
この三作品、それぞれがキングの初期、中期、後期を代表する作品ですが、こうしてあらためて並べてみると(時間における連続性、空間における類似性、ベクトルにおける対称性)キングのキャリアを貫くテーマ=「田舎町殺し」が浮かび上がってくるように思うのです。
最後におまけ。今回、『アンダー・ザ・ドーム』を読了後に、あらためて『呪われた町』と『ニードフル・シングス』を読み直してみたのですが、『呪われた町』でこんな記述を発見して一人でニヤニヤしてしまいました。なんだか、このガラス玉の文鎮が透明なドームに覆われたチェスターズ・ミルに重なって見えてしまって・・・
(以下『呪われた町』より引用)「窓から家の中に入りこんだよ。事件から十二年後のそのころも、まだ家の中はがらくたでいっぱいだった。新聞は戦争中に持ちだされていたが、ほかはすべて元のままだった。玄関ホールにテーブルがあって、その上に例の雪のガラス玉が一個のっかっていた---ぼくのいってるのがどんなものかわかるかい?ほら、中に小さな家があって、揺り動かすと雪が舞いあがるやつだよ。ぼくはそいつをポケットにしまったが、すぐには外へ出なかった。自分の勇気を試してみたかったんだ。それでマーステンが首をくくった二階へあがって行ったんだよ」
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