今年の3冊(2011年)

今年もあっという間に大晦日。新しく「Re:mixi」なんてブログを立ち上げておきながら、案の定、何ヶ月も放置してしまいました(苦笑)。もう少しこまめに、本や映画について書きたいと思っているんですけどね、相変わらずダメですね。せめて、最後に今年読んだ本のメモくらいは残しておきたい。というわけで、昨年mixi日記でやった「今年の三冊」を今年もやってみます。

□今年読んだ本
『バッキンガムの光芒』ジョー・ウォルトン
『愛おしい骨』キャロル・オコンネル
『ラスト・チャイルド』ジョン・ハート
『スーパー・カンヌ』J・G・バラード
『千年紀の民』J・G・バラード
『ミステリウム』エリック・マコーマック
『「教育」としての職業指導の成立』石岡学
『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』ジュノ・ディアス
『観光』ラッタウット・ラープチャルーンサップ
『夜の真義を』マイケル・コックス
ヴィクトリア朝の昆虫学』ジョン・F・M・クラーク
『V.』(上・下)トマス・ピンチョン
『スロー・ラーナー』トマス・ピンチョン
アンダー・ザ・ドーム』(上・下)スティーヴン・キング
呪われた町』(上・下)スティーヴン・キング
『ニードフル・シングス』(上・下)スティーヴン・キング
『境界の発生』赤坂憲雄
『世界コミックスの想像力』小野耕世
『ダイヤモンド・エイジ』ニール・スティーヴンスン
『ねじまき少女』(上・下)パオロ・バチガルピ
『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ
『サイボーグ・フェミニズム【増補版】』ダナ・ハラウェイほか
『死刑囚』アンデシュ・ルースルンド、ベリエ・ヘルストレム
『憎鬼』デイヴィッド・ムーディ
アンダーワールドUSA』(上・下)ジェイムズ・エルロイ
『映画もまた編集である』マイケル・オンダーチェ
ビリー・ザ・キッド全仕事』マイケル・オンダーチェ
『ベッドルームで群論を』ブライアン・ヘイズ
『記憶の山荘 私の戦後史』トニー・ジャット
『ネザーランド』ジョセフ・オニール
エドガー・ソーテル物語』デイヴィッド・ロブレスキー
『生、なお恐るべし』アーバン・ウェイト
『チャイナ・レイク』メグ・ガーディナー
『聖者は口を閉ざす』リチャード・プライス
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか増田俊也
ブエノスアイレス食堂』カルロス・バルマセーダ
大山倍達正伝』小島一志、塚本佳子
『グラーグ57』(上・下)トム・ロブ・スミス
『エージェント6』(上・下)トム・ロブ・スミス
『一九八四年』ジョージ・オーウェル
『ヴァインランド』トマス・ピンチョン
『夢違』恩田陸
(『都市と都市』チャイナ・ミエヴィル)

こうやってふりかえってみると、今年は本当に小説をよく読みましたね。とくに外国文学が多い。これは、ひとつにはtwitterで外文関連の方たちをたくさんフォローしている影響もあるんでしょうが、それ以上に、今年の外文が(とくに僕にとって)超のつく豊作だったせいですね。それではさっそく今年の三冊を。mixi日記のときと同様、「フィクション部門」と「ノンフィクション部門」に分けて三冊ずつ選びましたが、三冊の順位はとくにありません。読んだ順番にご紹介します。


【フィクション部門】

■『ミステリウム』エリック・マコーマック
同時期に増田まもるさんの翻訳でバラードの『千年紀の民』とマコーマックの『ミステリウム』が出版されるという幸せが。これが今年最初の読書的ピークでしたね。『千年紀の民』(『コカイン・ナイト』『スーパー・カンヌ』に続く三部作)も傑作でしたが、迷いに迷った末、『ミステリウム』を選びました。「謎に包まれた真実」という読者の思い込みを逆手にとった騙りのうまさ。マコーマック独特の語り口は、「酔う」という表現がよく似合いますね。極上の酒で酩酊するような至福の時間でした。

ミステリウム

ミステリウム

■『アンダー・ザ・ドームスティーヴン・キング
キングの「田舎殺し」三部作としての位置づけについては、このブログでもしつこいほど書いてきたのでここでは割愛します。でも、どうしても書き残しておきたい感想が一言。それは、『UTD』が日本で刊行されたタイミングです。3.11の一ヶ月半後に発売された本書を読みながら、現実の世界(原発禍)と虚構の世界(ドーム禍)が相互浸透していくような幻惑感を何度も味わいました。この本を思い出すたびに、ニュースで放映されていた福島第一原発を中心とした同心円のイメージが浮かんできそうです。そういう意味でも、忘れがたい一冊になりました。

アンダー・ザ・ドーム 上

アンダー・ザ・ドーム 上

■『アンダーワールドUSA』ジェイムズ・エルロイ
エルロイの「アンダーワールド」三部作の掉尾を飾る傑作!二作目から10年待った甲斐が十分にありましたよ。覗き見と盗み聞きで描き出されるアメリカの裏面史。すべてを記録・分類することを権力の源泉とする(=博物学)フーヴァーと、異質のものを混ぜ合わすことで新しいものを生み出す(=化学)ウェインJr.の対立構造が、そのまま1960年代アメリカのイデオロギーの対立になっている。それはつまるところ「コスモ(秩序)」と「カオス(混沌)」の対立なんじゃないか、と思いあたるに至って、エルロイとピンチョンがぐっと近く感じるというなんとも不思議な感覚を味わうこともできました。いやほんと、今年読んだ本のなかで『アンダーワールドUSA』に一番似ていると感じたのがピンチョン『ヴァインランド』だったのは何とも意外な体験でした。

アンダーワールドUSA 上

アンダーワールドUSA 上


【ノンフィクション部門】

■『世界コミックスの想像力』小野耕世
小野さんの本は、本当に漫画に対する愛情がにじみ出ていて楽しいんですよね。漫画の紹介文というより、ラブレターみたいなの。だから小野さんが紹介しているとぜんぶ読みたくなっちゃうんだけど、きっと実際に読んだらそんなに面白さを感じないものもあるんだろうなあ、とか思います(苦笑)。そういう意味では、レムの『完全な真空』とか『虚数』とかと同じジャンルの本として消費しているかもしれない。メタ・コミック。それにしても、今年は『皺』とか『ピノキオ』とか『闇の国々』とか、世界コミックスの名作が次々と翻訳されてコミックも超豊作な一年でした。

■『映画もまた編集である』マイケル・オンダーチェ
映画編集の第一人者であるウォルター・マーチとイギリスの小説家マイケル・オンダーチェによる対話集。「映画もまた」というタイトルの裏には「小説もまた」というニュアンスが隠れているんですよね。原題の”The Conversations”は、マーチの代表作「盗聴」の原題でもあります。二人のクリエイターによる、「編集」という作業に秘められた「創造性」をめぐる刺激的な対話を、まさに「盗聴」している感じがたまらない一冊。 帯にあるスティーヴ・エリクソンの「ページを閉じるのに苦労する」という推薦文に偽りなし。映画と小説を愛するすべての人にお薦めします。

映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話

映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話

■『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか増田俊也
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われる不世出の天才柔道家木村政彦の伝記。雑誌「ゴンカク」で連載されていた当時もパラパラ流し読みしていたのですが、このたび大幅な加筆修正のうえ出版されたということで手に取ってみました。長期間にわたる連載期間のなかで、著者の立ち位置が少しずつ変化していくところがスリリングでした。この本を読んだあとに、長らく積んでいた『大山倍達正伝』も読んだのですが、木村政彦力道山大山倍達という破格の三人を通して、戦後日本が生々しく立ちあらわれてくるのが面白かったですね。さすがに、読了後は胸焼けしましたが(苦笑)

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


以上です。フィクション部門は上にあげた三冊以外にも『オスカー・ワオの短くて凄まじい人生』とか『ブエノスアイレス食堂』とか、素晴らしい作品が目白押だったのに、ちゃんと感想文を書けなかったのが悔やまれますね。来年は、もう少しこまめにブログを更新したいと思うのですが、どうなるかなあ。たぶん、滞るんだろうなあ。なんとも当てにならないブログですが、来年もお付き合いをいただけたら幸いです。

それでは、皆さん、良いお年をお迎えください〜


オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

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ブエノスアイレス食堂 (エクス・リブリス)

ブエノスアイレス食堂 (エクス・リブリス)