パノプティコンからモールへ

今年は「都市論」をテーマに読書してます。手始めに、すべての近代都市のルーツといわれる「パリ」に関する本を何冊か読んでいるのですが、そのなかで選んだ『夢の消費革命』と『ウィンドウ・ショッピング』という二冊のコンボがとても良かったので、メモ代わりに書きとめておこうと思います。

まず『夢の消費革命』は、中世以前の社会において王侯貴族階級の特権であった「消費」という社会行動が、十九世紀に入って徐々に新興階級であるブルジョワジーに模倣されるようになり、やがて大衆化していくプロセスを丁寧に分析しています。階級を超えた「消費」の広がりが、万博(1855年、67年、78年、89年、1900年)、百貨店、自動車ショーといった社会的装置を次々に発明しながら、わずか半世紀あまりのうちにパリの都市空間とそこに住む人々の心性を完全に変えていく過程はなかなか劇的。この急激な社会変化を本書では「消費革命」と呼ぶわけですが、これ、じつは「産業革命」と対をなす言葉なんですね。当然といえば当然なんですが、産業革命によってもたらされた「大量生産」は、一方で「大量消費(つまり大衆消費)」による支えを必要していたというわけです。歴史的には圧倒的に「産業革命」のほうが有名ですが、本書を読んでいると、パリという都市の空間編成においては、むしろ「消費革命」のほうがより大きな影響を及ぼしたのではないかという気がしてきます。

もうひとつ本書を読んでいて面白かったのは、産業革命に端を発する労働問題が労働組合という団体を生み出したのに対して、消費革命は、消費者=生活者の権利を保護するための団体として生活協同組合を生み出したという指摘。産業革命と消費革命をコインの裏表と捉えると、当然、労組と生協も裏表の関係になるわけですよね。さらに、労組はモノの価値が「生産」によって生まれるという立ち位置において、じつは資本家と同じ陣営に属しているのに対して、生協はモノの価値は「消費」によって生まれるという立ち位置をとることで、よりラディカルに労使同盟に対立する側面を持っているなんて見方も。そうか、資本家と労働者という二項対立じゃなくって、そこに消費者を加えた三つ巴だったのか。この視点は、個人的にかなり新鮮でした。


さて、この『夢の消費革命』とタッグを組むのが『ウィンドウ・ショッピング』。こちらは急激に変化しつつある都市空間パリにおいて生まれた「遊歩者の視線=移動する視線」を鍵として、モダンからポストモダンへの変遷、さらにはポストモダンフェミニズムの関係を分析した一冊です。消費革命からの脈絡でいうなら、遊歩者とは生まれつつあった新しいタイプの消費者のことであり、「移動する視線」とはすなわち消費者の視線と読み替えることもできるんじゃないか、と思います。

どちらの本も、新しい消費者の「移動する視線」を象徴する装置として、百貨店、パサージュ(アーケード)をあげている点で共通しますが、『ウィンドウ・ショッピング』のほうでとくに面白かったのは、フーコーの「一望監視(パノプティコン)の視線」と「移動する視線」の比較分析のところでした。そもそも、「一望監視の視線」とは監禁する権力者の視線であり「監獄」のデザイン・コンセプトであるのに対して、「移動する視線」は漫ろ歩く消費者の視線であり百貨店のデザイン・コンセプトといえます。フーコーベンヤミンという二人の知の巨人によって、近代を特徴づける現象として「発見」された二つの「視線」。この対照的な「視線」が、じつはどちらもガラスの大型化という技術的なイノベーションによって実現されたという本書の指摘は、まさに目から鱗でした。

さらに『ウィンドウ・ショッピング』では、近代において都市という空間に依存していた「移動する視線」が、映画、テレビ、自動車(フロントガラス)という装置として再発明され、都市を脱して普遍化していった状態がポストモダンなのではないかと指摘しています。モダンが都市という空間に象徴されたのに対して、ポストモダンは脱都市/郊外という空間に象徴されるというわけです。そして、郊外に拡散した「移動する視線」が生み出した究極の装置が「ショッピングモール」であり、モールにおいて、人々はもはや自ら移動することなく(固定性)あらゆる「移動する視線」を体験することができる。それどころか、モールという空間においては、固定された消費者とはつまり監禁された者であり、防犯カメラという新しい装置によって「一望監視の視線」の対象にもなっているという。つまり、「移動者の視線」と「一望監視の視線」という二つの対照的な視線が、モールという空間において統合されたわけです。うーん、たしかに。ロメロの「ゾンビ」にはショッピングモールに監禁された現代人(そしてゾンビ)が描かれていましたし、防犯カメラの映像だけで撮影されたフェイク・ドキュメント「LOOK」には、まさにパノプティコンと化したモールが描かれていましたっけ。


いやあ、このコンボは予想以上に面白かった。この二冊を読んであらためて気づかされたのは、中世、近代、ポスト近代という変遷は「視線」のあり方の革命だったということですね。とくに中世と近代の画期において重要だったのが「ガラス」技術の進化だったという指摘が面白かったなあ。というわけで、次は世界を代表するフランスのガラス会社「サンゴバン」の歴史を追った、その名もずばり『サンゴバン』を手にとりたいと思います。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」から銀座の「シャネル・ビル」まで、「ガラス」技術の進化が、どのように都市空間やそこに行き交う人びとの視線を変えていったのか。。。興味津々でございます。


夢の消費革命―パリ万博と大衆消費の興隆

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ウィンドウ・ショッピング―映画とポストモダン (松柏社叢書―言語科学の冒険)

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