不穏な報告書

読むことで不可逆的な変化を蒙ってしまうような、そんな恐ろしい本に出会うことが時々あります。少し大げさかもしれませんが、読む前と読んだ後で、自分と世界との関係が否応なく変わってしまうような本。それも望ましからざる方向に。

今回ご紹介する『ブロデックの報告書』と『無分別』という二冊の小説は、ぼくにとって、まさにそんな本でした。

『ブロデックの報告書』はフランス、『無分別』はエルサルバドル、と遠く離れた文化に属するものの、この二冊には通底するものがあります。ともに実在したジェノサイド(『ブロデックの報告書』ではナチスによるホロコースト、『無分別』ではグアテマラにおける先住民族マヤ族の大虐殺)を題材に据えつつ、それ自体を直接語るのではなく、ある種の「記録」によって媒介された「暴力」が主人公たちの世界を徐々に侵し、破壊していくという構成です。

『ブロデックの報告書』の主人公は、自身が住む山村で起きた「異人殺し」の報告書を書くことを命じられます。一方、『無分別』の主人公は、先住民族の大虐殺に関する報告書の校閲の仕事の依頼を請けます。どちらの主人公も、自身の所属する集団において「書くこと/読むこと」に長けた人物として承認されているわけです。彼らは「書くこと/読むこと」を通して、次第に、忌まわしい「暴力」の記憶に侵されていきます。そして読者もまた、二人の主人公の忌まわしい体験を「読むこと」で、その「暴力」の連鎖に取り込まれ、否応なく書き換えられていくことになります。

「書くこと/読むこと」は記憶を延長します。さらに個人的な体験を周囲に拡大していきます。それこそが、わたしたちが日々享受している「書くこと/読むこと」の機能です。しかし、それは同時に、忌まわしい記憶を延長し、拡大していく道具にもなりえます。『ブロデックの報告書』と『無分別』、この二冊は「書くこと/読むこと」が必然的に孕む、ある種の暴力性に関する告発なのかもしれません。

皆さん、残念ですが、皆さんの知っていた無垢な内田桃人は、もう存在しないのです・・・(そんな内田桃人、知らねぇ・・・

ブロデックの報告書

ブロデックの報告書

無分別 (エクス・リブリス)

無分別 (エクス・リブリス)