そして僕は途方に暮れる

ここのところ『幸福の遺伝子』『HHhH』と立て続けにメタフィクション的な作品を紹介していますが、この『ミスター・ピーナッツ』もまたメタ的な趣向を凝らした一冊です。『幸福の遺伝子』が「遺伝子」を模した小説だとすれば、『ミスター・ピーナッツ』は、さしづめ「結婚生活」を模した作品ということができるのかもしれません。


結婚生活13年目(偶然にもわが家と一緒!)を迎えたデイヴィッドは、妻・アリス殺害を夢想する日々を送っています。そんなある日、アリスがピーナッツに対するアレルギー反応で急死します。駆けつけた刑事に対して、デイヴィッドは「アリスの自殺」を主張しますが・・・果たしてその真相は?

一見、何の変哲もないミステリーのように幕を開ける本作ですが、物語はやがて定石を外れ、徐々に捩れていきます。妻殺しの嫌疑をかけられたデイヴィッドによる結婚生活についての独白、そのデイヴィッドが妻に隠れて書き続けていた謎の小説、さらに捜査を担当する二人の刑事たちの結婚生活。並行して語られる複数のエピソードは、やがて奇妙な交差を見せはじめ・・・。「デイヴィッドはアリスを殺したのか?」という謎を追いかけていた読者は、いつしか自分が辿っていたはずの道筋を失っていくでしょう。交差するエピソードの迷路をさまよい、それでも、なんとか最後のページにたどりついた読者を待っているのは、どんな結末なのでしょうか。


結論からいえば、この作品に結論はありません。最後の1ページを読み終えると、より多くの謎を抱えて、また最初の1ページに戻ってしまいます。読者は捩れた円環構造、つまりメビウスの輪に囚われてしまった自分に気がつくでしょう。

いや、そんなことはありません。ちゃんと読めば、この小説には結論があることがわかるはずです。じつに巧妙に隠されていますが、ミステリーの解答もきちんと用意されています。それこそが、円環構造を持つこの小説の出口です。


どっちだよ!と思った方、ぜひ本書を手にとってみてください。そして出口を見つけることができた方は、こっそりぼくに教えてくださいw 正直いうと、ぼくはすっかりこの小説に囚われてしまった口です。この捩れた円環構造のなかをぐるぐるさまよいながら、「ああ、これって結婚生活そのものだよね」なんて途方に暮れちゃっています。

そうそう。皆さんにぜひ本書を手にとってほしい理由が、もうひとつありました。それは本書の装丁の美しさ。個人的には、ここ数年購入した本のなかでも抜群です。こんなに美しい迷路であれば、いつまでもさまよっていたいわあ・・・と思わせるところも、わが結婚生活とシンクロするのかもしれません、ね。ね。ね。

ミスター・ピーナッツ

ミスター・ピーナッツ

怪物の遺伝子

先日の『幸福の遺伝子』の書評において、物語の語り部である「私」と、その「私」が創造した虚構の人物たちとの緊張関係について触れました。リチャード・パワーズは、遺伝子を「書き込まれた情報/読み取られる情報」というレベルにまで抽象化することで、作家が小説を書くこと(つまり、虚構の人物を創造すること)と遺伝子の働きのあいだに、ある種の相同性があることを指摘しました。この自己言及的、再帰的な構造において、『幸福の遺伝子』は遺伝子をテーマとして扱う物語でありながら、同時に遺伝子そのものを模した物語になっていたわけです。

なぜ『幸福の遺伝子』のことをくどくど書くのかといえば(ほんと、しつこくてすみません!w)、今回ご紹介する『HHhH プラハ、1942年』という作品もまた自己言及的、再帰的な構造を持つ作品であり、ぼくのなかで『幸福の遺伝子』とおおいに共鳴する物語だったからです。

『HHhH』というタイトル、これはドイツ語で「ヒムラーの頭脳はハンドリヒと呼ばれる」という文章の頭文字をとったものだそうです。そんな一風変わったタイトルを付けられた本書は、ナチスの大物にして<金髪の野獣>と呼ばれたラインハルト・ハイドリヒと、彼の暗殺を企てた<類人猿作戦>という歴史上の事件を扱った歴史小説「のようなもの」です。

本書の語り手である「僕」は、この事件を忠実に書く(再現する)ことを決意した作家の卵です。そのために膨大な史料を集め、事件に関係する土地を訪ね、着々と準備を進めていくのですが、いざ筆をとった「僕」は、この計画が少しずつ狂い始めていくのを感じます。どんなに真摯に史実を再現しようと試みても、現実を再現するには限界があります。膨大な史料を取捨選択する、選んだ史料をつなぎ合わせる、こういった作業のすべてに想像力を動員せざるをえません。その葛藤を解消しようと、さらに史料を積んでいくのですが、そのことがかえって「僕」のなかの想像力を肥大させていきます。史実が自らの想像力によって少しずつ汚染されていく様を、忸怩たる思いで見つめる「僕」・・・

歴史小説「のようなもの」なんて曖昧な紹介になってしまうのは、「史実(ノンフィクション)」と「虚構(フィクション)」が相互に侵犯するような、本書独特の語り口のためです。


『幸福の遺伝子』にならって作家の企てを遺伝子工学にたとえるとすれば、『HHhH』の試みは、どこか「ジュラシック・パーク」を連想させます。作家である「僕」は膨大な史料を入手し、それらを抑制した想像力で慎重に補うことで、かつて実在したハイドリヒという怪物を現在によみがえらせようとします。しかし(もちろん?)、この怪物はやがて創造者の企図を逃れ、ノンフィクションとフィクションという(本来は隔離されているべき)二つの領域を自由に闊歩する存在になっていくのです。

(以下『HHhH』より引用)「ハイドリヒはこの物語の主役だとは見なされない。僕がこの本を書くことを思いついてから、もう何年にもなるけれど、<類人猿作戦>以外のタイトルを考えたことは一度もない(仮に、読者が今お読みになっている本の表紙に別のタイトルが印刷されているとしたら、このタイトルがどうやらSF的すぎるとか、ロバート・ラドラム的すぎるとか思った編集者に僕が譲歩したことがわかるだろう)。」

もちろん、読者はこの本のタイトルが『類人猿作戦』でないことを知っています。そして、それがおそらく編集者への譲歩でないことも・・・

(以下『HHhH』より引用)「ところで、ハイドリヒはこの作戦のターゲットであって、首謀者ではない。彼について僕が語っていることは、言ってみれば所詮その背景を固めるにすぎない。でも、文学的観点からは、ハイドリヒがなかなか興味深い人物であることは認めざるをえない。それはあたかも、フランケンシュタイン博士の生みの親である作家が、文学に描かれた有名な怪物たちから、いかにも恐ろしげな生物を考え出したようなものかもしれない。ただし、ハイドリヒは紙上の怪物ではない。」

「主役を食う」とは、よく言ったものですよね。読者は、この物語本来の主役であった<類人猿作戦>の首謀者たちが、背景から立ち現れたハイドリヒという怪物に貪り食われていく様子を目撃することになるでしょう。そこに居合わせてしまった読者にできることといえば、せいぜい次に自分が食べられないことを祈るくらいです。

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

読まれるのを待つ、一冊の本

先日、翻訳ミステリー大賞シンジケートというサイトに『幸福の遺伝子』という本の書評を掲載していただきました!一流の翻訳家、編集者、書評家の皆さんが運営するサイトに載せていただけるなんて夢のよう。書評にも書きましたが、この本はいろいろな読み方を許容し、いろいろなことを考えさせてくれる一冊です。何より、ぼくに「幸福」を運んでくれましたし。ぜひ、多くの方に読んでいただきたいなあ、と思っています。

幸福の遺伝子

幸福の遺伝子


さて、ここからが本題。

じつは今日ご紹介したいのは、イーディス・パールマン『双眼鏡からの眺め』という短編集です。『幸福の遺伝子』の書評で「人は読まれるのを待つ一冊の本」と書きましたが、この『双眼鏡からの眺め』はまさにそんな一冊なのです。ここに収録された作品の登場人物たちは、いずれも特別な人物ではありません。ほとんどの作品では特別な事件も起こりません。それでも、パールマンが切り取ると、彼らの人生の一場面が途方もなく美しい文学に昇華する。。。その描写力は、まるで魔法です。

いずれの短編も、叙述か叙情かといわれれば圧倒的に叙述の作品なのですが、読み手の情動を激しく揺さぶる力を秘めています。それも喜怒哀楽みたいな感情の原色ではなく、すごく微妙な中間色。にもかかわらず、喜怒哀楽に匹敵する強さで読者を揺さぶってくるのです。著者自身、インタビューで「わたしはもっぱら細密画家」とおっしゃっていたそうですが、まさにまさに。プロットよりもむしろ細部の描写のリアリティに支えられた作品たちが精選されています。

そして、もうひとつ指摘したいのは、パールマンの作品の「閉じ方」の巧さです。「画竜点睛」という言葉がありますが、彼女の最後の一文の切れ味は本当に凄まじいものがありますね。その切れ味が、この短編集をベタベタしたヒューマニスティックなものからきっぱりと隔てています。

短編集はよく宝石箱にたとえられますが、ここに大切にしまわれている宝石を連想するなら、それは「真珠」ではないでしょうか。もちろん、著者名"Pearlman"からの連想なんですけどねww でも、生き物の中で時間をかけて作られる真珠という宝石こそが、やっぱりこの短編集には相応しいようにも感じます。色も形も不揃いな34粒の真珠。ぜひ手にとって、その美しさに息をのんでほしいと思います。

双眼鏡からの眺め

双眼鏡からの眺め

世界のおわりの八月

「世界の滅亡(とその救済)」は、映画史のなかでも人気のあるテーマのひとつですよね。視覚効果の歴史にかぎっていえば、間違いなく最重要テーマでしょう。視覚効果好きのぼくとしては、当然、「世界の滅亡」大好き!なわけですが、今年の8月はちょっとやばいです。なんと、四回も「世界の滅亡」がやってくる!世界一流の妄想家と最高の視覚技術家たちが終結して、じゃなかった集結して作り出した「世界の滅亡」のイマジネーションに震えたいと思います。ああ、「世界の滅亡」がこんなにも待ち遠しいとは。。。


パシフィック・リム(8月9日公開)


■ワールド・ウォーZ(8月10日公開)


スタートレック:イントゥ・ザ・ダークネス(8月23日公開)


■マン・オブ・スティール(8月30日公開)

プラハの春

ここ一年くらいのあいだにプラハを舞台にした小説が立て続けに出ました。いま、チェコ文学がホットなの? そういう事情に疎いのですが、この機に乗じてプラハ小旅行(書旅行?)を計画してみました。作者も出版社もばらばらですが、かえってプラハのいろいろな表情が楽しめることを期待して。


■『カールシュタイン城夜話』フランティシェク・クプカ

 最初の滞在先は、プラハ郊外にあるカールシュタイン城。このお城、近代都市プラハの礎を築いたといわれるカレル四世の別荘なんだそうです。実物は緑あふれる丘のうえに優雅に建つ、なんとも品の良い建造物のはずなんですが、なぜか本書の表紙にはおどろおどろしい奇城が屹立している。。。なんだ、このお城は?ww でも、こっちのお城のほうが面白そうだから、ぼくはこの奇城に宿泊することにしますよ。

 時は1371年(時代を遡れるのも、書旅行のいいところ)、ここカールシュタイン城にはカレル四世その人が毒殺未遂事件の療養のため、気心の知れた三人の家臣と滞在しているところでした。くだんの四人、毎晩どこかの部屋に集まっては、武勇伝や恋バナ、怪談や猥談に花を咲かせているご様子。その談笑する声が、ぼくの部屋までぼそぼそ漏れ聞こえてくるんですね。そんな夜話を聞くともなしに聞きながら眠りにつく、というなんとも贅沢な一週間を過ごしました。

カールシュタイン城夜話

カールシュタイン城夜話


■『夜毎に石の橋の下で』レオ・ペルッツ

 お次は、いよいよプラハ市内に移動です。時代は200年ほどくだって、いまやヨーロッパの中心都市となったプラハ。そのプラハに君臨するのは、かの神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世です。ヨーロッパ随一の権力を手にしながら、オカルトに傾倒した奇人として有名な方ですね(アルチボルトの描いた、この絵)。この時代のプラハこそ、今回の書旅行で一番の楽しみでした。さっそく市内をぶらつくものの、どうも様子がおかしい。。。とてもヨーロッパの中心都市とは思えない退廃的な雰囲気がそこかしこに漂う。耳に入ってくるのはルドルフ二世破産や、それに代わって権力を伸ばしつつあるユダヤ人の豪商モルデカイ・マイスルの噂。

 現代の金融にも通じるマイスルの経済活動って、この時代の人たちには「魔術」や「錬金術」のような怪しい「術」に映るんだろうなあ。王権という魔術がしだいに解けて、経済という名の新しい魔術が忍び込んでくる。そんな斜陽の刻にさしかかったプラハを舞台に、ルドルフ二世、豪商マイスル、そしてマイスルの妻エステルの三角関係が時空を超えて交錯する様は、あたかも都市に刻まれた六芒星のようにも見えてきて。。。街の中心にある石橋(カレル橋)に佇み、そんな光景をぼんやりと眺めて過ごしました。

夜毎に石の橋の下で

夜毎に石の橋の下で


■『火葬人』ラジフラス・フスク

 ドアを開けると、そこは第二次大戦下のプラハ。って、まるで「トワイライト・ゾーン」のようなつなぎで次の一冊『火葬人』へ。こんどは火葬場に勤めるコップフルキングル氏のお宅に、さしづめホームステイといったところです。家主のコップフルキングルさん、お酒もギャンブルもやらないし、キレイな奥さんと二人のお子さんを大切にする家庭人。いい家に滞在できるなあ、と最初は喜んでいたんですよね。最初は。

 でもね、何日か過ごすうちに、この家、なんかおかしくない?って思い始めたんです。たとえば、リビングルームに飾られた時刻表。ちょっと不思議に思って「これってなんの時刻表ですか?」って訊いてみたんですよ。そしたら、コップフルキングルさんの職場の火葬の時刻表だっていうじゃないですか。そんなものリビングに飾っているのも変ですけど、もっと変なのが、そのことを説明するときのコップフルキングルさんの表情。それが、ちょっと普通じゃないんですよね。まるで宗教の話でもしているかのような、ある種の陶酔感とでもいうか。それ以来、注意して観察していたんですけど、この家主、ちょっとやばいかも。一見まともな市民に見えるんですが、じつは木の洞のように空っぽ。自分のなかの価値基準みたいなものが完全に欠落しちゃってるんじゃないか、という疑惑が日に日に強まっていきました。まるで、ジム・トンプソンの『失われた男』のような空虚さですよ。

 折りしも、ラジオからはナチスチェコ国境に侵攻しつつあるという不穏なニュースが流れてきます。それに歩を合わせるかのように、コップフルキングルさんの目つきが日に日におかしくなってくる。奥さんと子どもたちも、なんとなくその変化に気づいているんだけど、どうにも止めようがない。。。やばい、これ以上この家にいたら、本当にやばい!真綿で首を絞められていくような、なんとも恐ろしい滞在となりました。。。

火葬人 (東欧の想像力)

火葬人 (東欧の想像力)


■『もうひとつの街』ミハル・アイヴァス

 コップフルキングル宅で負った心の傷を癒そうとプラハの街をぶらぶら流していたら、書店で変な本を見つけました。ちょっと立ち読みしてみたのですが、支離滅裂な文章が並んでいて意味不明。なんじゃ、こりゃ?と、いったんは書棚に戻すものの、なんともスルーできない魅力(魔力?)に引かれて、けっきょく購入してしまいました。しかし、この本が異界への入り口になっていたとは、そのときのぼくには知る由もなかったのです。。。

 パムク『新しい人生』のイスタンブール、オースター『オラクル・ナイト』のニューヨークなど、一冊の本(あるいはノートに綴られた物語)が、慣れ親しんだ都市を変質させていくという物語はこれまでに経験済みでしたが、『もうひとつの街』のプラハのそれは、さらに輪をかけて奇妙な体験になりました。ある人が、本書の感想で「シュールレアリズムの絵画のなかに放り込まれたような」といった表現をしていましたが、まさにまさに。「ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、修練を要する。」というベンヤミンbotのつぶやきを思い出しながら、「もうひとつのプラハ」を当て所もなく彷徨いました。

もうひとつの街

もうひとつの街


以上、魔術都市プラハを堪能した春でした。しかも、苦手な飛行機に乗ることもなく(東海道本線で行ける、プラハ!)。書旅行って、お金のない人、時間のない人、飛行機の苦手な人、日本語しかしゃべれない人、妄想するのが好きな人などなど、いろんな人にお薦めです。(←ぼく、ぜんぶ当てはまってるう!)

模様替え

一昨年、「RE:mixi」としてスタートし、その後(大方の予想どおり)すっかり放置されていたこのブログでございますが、このたびUCD-NETの傘下に入ることになりましたことをご報告させていただきます。それにともない、本日からブログのタイトルを「RE:mixi」から「mmt-log」に変更いたしました。これからは、UCDホーム内のぼくの個人部屋としてフル活用(本、映画、落語、柔術 etc.)していきたいと思っております〜

んが! 現実生活において自分の部屋を失ってから、はや十数年。もはや自分の部屋の使い方なんて、すっかり忘れてしまいました(苦笑

今年の3冊(2012年)

さて、締めくくりに今年読んだ本と印象に残った三冊をメモとして残しておきたいと思います。

□今年読んだ本(読んだ順番で)
『都市と都市』チャイナ・ミエヴィル
『リーディングズ 都市と郊外』今橋映子・編
『二流小説家』デイヴィッド・ゴードン
『卵をめぐる祖父の戦争』デイヴィッド・ベニオフ
『グランド・ブルテーシュ奇譚』バルザック
『知られざる傑作』バルザック
『13時間前の未来』(上・下)リチャード・ドイッチ
『排出する都市パリ』アルフレッド・フランクラン
『民衆騒乱の歴史人類学』喜安朗
『犯罪』フェルディナント・フォン・シーラッハ
『罪悪』フェルディナント・フォン・シーラッハ
『夢の消費革命』ロザリンド・H・ウィリアムズ
『ウィンドウ・ショッピング』アン・フリードバーグ
『文豪怪談傑作選 川端康成集』川端康成
『サンゴバン』中島智章ほか
『闇をひらく光』ヴォルフガング・シヴェルブシュ
『オペラ座の怪人』ガストン・ルルー
『パリ 地下都市の歴史』ギュンター・リアーほか
『LAヴァイス』トマス・ピンチョン
『競売ナンバー49の叫び』トマス・ピンチョン
『パリ モダニティの首都』デヴィッド・ハーヴェイ
『アイ・コレクター』セバスチャン・フィツェック
有害コミック撲滅!』デヴィッド・ハジュー
『ブルックリン』コルム・トビーン
『ブルックリン・フォリーズ』ポール・オースター
『みちのくの人形たち』深沢七郎
『暴行』ライアン・デイヴィッド・ヤーン
『殺す』J・G・バラード
『森の奥へ』ベンジャミン・パーシー
『熊』ベルント・ブルンナー
『異界を旅する能』安田登
『ホーンズ』ジョー・ヒル
ハートシェイプト・ボックスジョー・ヒル
残穢小野不由美
『鬼談百景』小野不由美
『オオカミの護符』小倉美恵子
『ゴースト・ハント』H・R・ウェイクフィールド
『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』地井昭夫
『蘆屋家の崩壊』津原泰水
『生きていく民俗』宮本常一
『ピカルディの薔薇』津原泰水
『占領都市』デイヴィッド・ピース
ラカンの殺人現場案内』ヘンリー・ボンド
ラカンはこう読め!』スラヴォイ・ジジェク
ラカン』フィリップ・ヒル
『社会問題の変容』ロベール・カステル
『中村雅楽探偵全集3 目黒の狂女』戸板康二
『都市が壊れるとき』ジャック・ドンズロ
『ディミター』ウィリアム・ピーター・ブラッティ
『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー
『レッドアローとスターハウス』原武史
『刑事一代』佐々木嘉信
『64(ロクヨン)』横山秀夫
『キャリー』スティーヴン・キング(再読)
『陰の季節』横山秀夫(再読)
ザ・ウーマンジャック・ケッチャム
『桶川ストーカー殺人事件』清水潔
『ヒトは食べられて進化した』ドナ・ハートほか
『黒い看護婦』森功
『ピダハン』ダニエル・L・エヴェレット
『顔 FACE』横山秀夫
『記号と再帰田中久美子
『江神二郎の洞察』有栖川有栖
(『ソロモンの偽証』宮部みゆき

以上64作品のエントリーとなりました。こうやって書き出してみると、前半は外国の著作、後半は日本の著作が多いようですね。とくに意識はしていないのですが。。。それではさっそく「フィクション部門」と「ノンフィクション部門」に分けて、それぞれ印象に残った三冊をご紹介します。三冊の順位はとくにありません。読んだ順番でのご紹介です。


【フィクション部門】

■『LAヴァイス』トマス・ピンチョン
 『競売ナンバー49の叫び』、『ヴァインランド』に続くピンチョン<カリフォルニア三部作>の第三作目にあたる本書。昨年、『ヴァインランド』を読んだときに、じつはピンチョンとエルロイって似ているんじゃないかという感覚があったのですが、この『LAヴァイス』では、さらにその感じを強くもちました。そして今回、一作目の『競売ナンバー49の叫び』も併読して見えてきたのが「スプロールする空間としてのカリフォルニア」というテーマです。全米を覆う電話網のなかを漂う幽霊の声で幕を開ける『競売ナンバー〜』から、インターネットの前身であるARPAネットワークで幕を閉じる『LAヴァイス』。そこには、物理的な空間だけでなく電脳空間へとスプロールしていくカリフォルニアが描かれていました。そんなふうに読んでみると<カリフォルニア三部作>は、ジェイムズ・エルロイの<アンダーワールド>とウィリアム・ギブソンの<サーバースペース>の間隙を埋める作品ともいえるんじゃないか・・・そんな妄想を刺激してくれる一冊でした。

LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)

LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)

■『暴行』ライアン・デイヴィッド・ヤーン
 1960年代のニューヨークで実際に起こった事件をベースとし、自宅アパートで暴漢に襲われた女性が死にいたるまでの二時間を、複数の目撃者や関係者の視点から描いた本書。『ブルックリン』の舞台となった50年代のブルックリンが「徒歩の空間」だとすると、『暴行』で描かれる60年代のクイーンズは、一転して「自動車の空間」という印象を受けます。職場と自宅という二点のあいだを自動車が行き来する場面は、あたかも宇宙空間を移動する宇宙船のように孤独で、外には人と人との接触を阻む虚無的な空間が広がっているよう。そして、その虚無を超えて人びとが出会うのは、強盗殺人、交通事故、夫婦交換、自殺未遂といったネガティブな接触ばかり。事件の当事者よりもむしろ傍観者たちそれぞれのやりきれない時間を描くことで、読む者に癒しがたい「孤独」がべったりこびりついてくるような一冊でした。

暴行 (新潮文庫)

暴行 (新潮文庫)

■『64(ロクヨン)』横山秀夫
 「そういえば、横山秀夫って最近新刊ないですね・・・どうしたんですかね?」 突然思い出して隣に座る横山ファンの先輩に尋ねたのは、昨年のことだっただろうか。以来、二人して思い出しては「横山秀夫」をネットで検索してみたのですが、「どうやら生きているらしい」ということ以外あまりはっきりしたことはわからず、なんともモヤモヤした時間を過ごしてきました。そして今年。近刊案内に「横山秀夫」の文字をみたときの興奮といったら!そして、発売日に書店に並んでいる書影を目にしたときの歓喜といったら!しかし、これだけ期待値があがってしまうと、かえってガッカリしてしまうのではないかというおそれを抱きつつページをめくる・・・そんな心配をよそに、そこには間違いなく「あのD県警」庁舎が圧倒的な存在感をもって屹立していました。息詰まるほどの濃密で重苦しい空気。徹夜しているわけでもないのに、読み進めるうちに脳がヒリヒリしてくるような緊張感と疲労感。プロットを追う理性が、やがて情動にねじ伏せられてしまう横山ワールド。年末の「このミス」では、ぶっちぎりで国内一位を奪取しました。さっそく、その朗報を先輩にメールで送信。タイトルは「仏契!」と。すかさず返ってきたメールのタイトルは「夜64苦!」。そう、警察小説隆盛のいま、堂々の王の帰還です。夜64苦!!

64

64


【ノンフィクション部門】

■『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』地井昭夫
 漁師の住居と漁村の空間分析から日本漁業の本質や精神性までを見通す表題作をはじめ、さまざまな「生業」と「空間」の関係を論じてきた著者の小論集。使用が空間に隷属するのではなく、あたかも空間から使用が励起してくるような不思議な感覚は、以前読んだ『スケートボーディング 空間 都市』に通じるように感じました。

漁師はなぜ、海を向いて住むのか?

漁師はなぜ、海を向いて住むのか?

■『ラカンの殺人現場案内』ヘンリー・ボンド
 「あの精神分析派のラカンが探偵となって殺人現場を調査したら、果たしてどのような推理を行うのだろうか?」という、なんとも刺激的なアイデアに基づいて展開されるラカン思想の解説書。はじめは『もしドラ』的な入門書を想像したのですが、1950年代〜70年代に実際にイギリスで発生した殺人事件の現場写真が多数掲載されたシリアスな(というか、グロい)構成で、著者もいたってまじめにラカンの思想を解いています。ぼくにはちょっとハードルが高過ぎてラカンの思想を理解するところまではいたりませんでしたが、けっこう夢中になって読めた一冊でした。よく考えて見ると、本書も、「空間」と「精神性」の関係を論じた本だといえるかもしれませんね。

ラカンの殺人現場案内

ラカンの殺人現場案内

■『社会問題の変容』ロベール・カステル
 「賃金労働の年代記」という副題が示すとおり、封建制の中世にあってもっとも不安定な身分であった「賃金労働」が、近代の階級闘争を経たうえで、社会を調整し安定させる最大の仕組みに進化していった過程を、フランス史を中心に丹念に追跡した大著。僕の膂力では読通すのに相当骨が折れましたが、その甲斐はあったと思います。毎月あたりまえに手にしている「賃金」というものが、単に労働の対価(報酬)というだけでなく、安心して生活するための原資となり、余剰は貯蓄に充てられ、消費を通して経済をまわしていくための媒体にもなっているということがよくわかりました。さらにはフランスや日本においては「賃金労働」制度に厚生年金や労働保険が組み込まれており、社会の安定は「賃金労働」のデザインに依存しているといっても過言じゃないのかもしれませんね。しかしながら、近年、フランスにおいても日本においても、この社会的な安定が崩壊しつつあるのは周知の事実。そのあたりのプロセスも知りたい方には、本書のの追補版ともいえそうな『都市が壊れるとき』の併読をお勧めします。「社会の不安定化が都市部で顕在化している」のではなく、「都市空間の特性こそが社会の不安定化を生み出す原因となっている」という論旨はなかなか刺激的です。

社会問題の変容 ―賃金労働の年代記―

社会問題の変容 ―賃金労働の年代記―


以上でっす。今年もフィクション部門は豊作で、うえにあげた三冊以外にもピースの『占領都市』や、ケッチャムの『ザ・ウーマン』などの傑作があるんですよね。正直、甲乙つけがたい。さらには『エコーメイカー』、『2666』、『フリーダム』といった大作を積み残したまま年を越すことになってしまい、ぜひ来年は腰を据えて読みたいなあ、なんて野望も。しかし、ホラーリーグの日記にも書きましたが、年々楽しみに費やせる時間は減る一方で、とてもやり遂げる自信はありませんね〜(泣

おそらく来年もほとんど更新されないブログになるかと思いますが、どうか年末だけでも覗きにきていただければ幸いです。それでは皆さん、どうぞ良いお年をお迎えくださーい!